イベント情報
実施レポート
第11回 一橋総研・三田経済研ジョイントセミナー報告 [2019年9月19日開催]
『「人生百年時代」のリアルー「老後2000万円問題」が問いかけるもの』
By 一橋大学経済研究所 教授 小塩 隆士 氏
第11回 一橋総研・三田経済研ジョイントセミナー報告 [2019年9月19日開催]
『「人生百年時代」のリアルー「老後2000万円問題」が問いかけるもの』
By 一橋大学経済研究所 教授 小塩 隆士 氏
年金はドンドン削られる
今回の「老後2000万円問題」は全くあっけらかんな話で、年金だけでは老後の生活は維持できない。夫婦2人で毎月5万円、年60万円の赤字、10年生きれば600万円、90歳まで生きてしまうと2000万円近い赤字が生まれますよということ。但し、このケースは年金収入を年230万円の平均値で計算したものであり、世の中には年50万円以下の年金しかもらってない夫婦が22%、100万円以下が33%、150万円以下が40%いるが彼らの存在はこの試算から無視されている。 金融庁が「老後2000万円問題」レポートを発表した6月に続き、参院選後の8月下旬、今度は厚労省がこれまたあっけらかんな報告書を出してきた。現在、現役男性の平均年間所得の62%近い年金平均支給額をこれから毎年減額し続けて28年後には約2割カットの50%まで下げるという。これは現在、平均あるいは平均以上の年金を得ている人々にとっては裏切られた。それはないだろうという気持ちだろうが、150万円以下しかもらってない40%の国民に取っては開いた口もふさがらないに絶望的なメッセージである。 |
年金で貧困は救えない
年金はもともと貧困救済とは全く関係のないもので、人々が老後、貧困に陥るリスクを自ら社会保険に加入することで回避あるいは軽減する「防貧」手段である。その運営を国の厚労省年金局が「公的年金」の名の下に関り、基礎年金の半分に税金投入を行うことにより、年金には「国の責任」「国民の権利」といったイメージがあるが、あくまでも年金保険料を支払っている国民のみを相手にした明確な排除原理が貫徹している。日本国民だったら誰でもというものではない。
これに対して、貧困に陥った国民を「救貧」(救済・支援)するのが厚労省社会援護局の生活保護であるが、今や高齢者世帯が生活保護支給世帯の53%に達している。しかし、これは国の本意ではない。生活保護法第一条に「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」とあるが、無年金・低年金下の貧困高齢者世帯にはそもそも助長しうる「自立」の可能性はゼロに近い。
富裕・中間層の「公的年金離れ」が進んでいる
年金支給を30年足らずで現状水準から2割カットすると言明する政府は、一方で保険料の永久的な上限を約束、国民が一律に支払う基礎年金を月1万6900円とし、企業従業員が会社側と折半で支払う対報酬比率は18.3%(従業員9.15%)で無期限に固定してしまった。国は少子高齢化の進行で現役加入者数が減少する中、年金資金確保のために現役世代にこれ以上の加重負担は強いれないと認識している。しかしその分、年金支給力も縮小均衡させるという道を明確に選択し、公的年金制度が有する「防貧」機能の低下を認め堂々と開き直った。
政府が関与する公的な「防貧」制度が後退する中、富裕層やそれに続く経済的余裕層は公的に吸い取られる保険料にたががはめられたことによる余剰分を、自らの「防貧」機能強化に投入するようになる。それが私的個人年金への加入や様々な形による貯蓄・投資行為であり、彼らにとって今回の「老後2000万円問題」は今さら騒ぐ問題ではなかったことになる。
「社会主義革命型」年金制度改革が始まる
一方で、冒頭指摘した「年50万円以下の年金しかもらってない夫婦」にとっては、現役時代、夫婦で
年40万円の基礎年金保険料(1万6900円X2X12=40万5600円)を支払い続けること自体、非現実的であり、貧困国民層では低年金、無年金は常態化していると見ていい。現状、そのしわ寄せが生活保護支給に向けられているが、自立支援を目指す生活保護本来の役割に合致していない以上、貧困層を対象にした年金制度自体の立て直しが国として求められることになる。
ここで注目されるのが、オランダで導入されている「給付つき税額控除」による社会保険料の相殺方式だ。「税額控除」は本来納めるべき税金から国民福祉、生活支援の観点よりある一定額を控除して上げますよという考え方から成り立っている。これに対して「給付つき税額控除」はある意味、「社会主義革命」的な発想であり、日本国民として最低限度の生活を営むのに必要な所得について、その不足分を「マイナスの税金」として国が給付する。税金を納めるのではなく、税金を貰うという考え方だ。
オランダで行われている「給付つき税額控除」とは、「マイナスの税金」の給付を年金とか健康保険の社会保険料に限定して実施するものであるが、現状の自己所得では保険料が支払うことが出来ず、無年金状態、無保険状態に追い込まれている貧困層の救済を目指したものである。この発想は今のところ日本の厚労省も財務省も否定、無視しているが、今後、現役世代、リタイア世代問わず、貧困格差が国民的問題となっていく中でくすぶり続けるテーマとなろう。
(文責:一橋総研 市川周)
年金はもともと貧困救済とは全く関係のないもので、人々が老後、貧困に陥るリスクを自ら社会保険に加入することで回避あるいは軽減する「防貧」手段である。その運営を国の厚労省年金局が「公的年金」の名の下に関り、基礎年金の半分に税金投入を行うことにより、年金には「国の責任」「国民の権利」といったイメージがあるが、あくまでも年金保険料を支払っている国民のみを相手にした明確な排除原理が貫徹している。日本国民だったら誰でもというものではない。
これに対して、貧困に陥った国民を「救貧」(救済・支援)するのが厚労省社会援護局の生活保護であるが、今や高齢者世帯が生活保護支給世帯の53%に達している。しかし、これは国の本意ではない。生活保護法第一条に「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」とあるが、無年金・低年金下の貧困高齢者世帯にはそもそも助長しうる「自立」の可能性はゼロに近い。
富裕・中間層の「公的年金離れ」が進んでいる
年金支給を30年足らずで現状水準から2割カットすると言明する政府は、一方で保険料の永久的な上限を約束、国民が一律に支払う基礎年金を月1万6900円とし、企業従業員が会社側と折半で支払う対報酬比率は18.3%(従業員9.15%)で無期限に固定してしまった。国は少子高齢化の進行で現役加入者数が減少する中、年金資金確保のために現役世代にこれ以上の加重負担は強いれないと認識している。しかしその分、年金支給力も縮小均衡させるという道を明確に選択し、公的年金制度が有する「防貧」機能の低下を認め堂々と開き直った。
政府が関与する公的な「防貧」制度が後退する中、富裕層やそれに続く経済的余裕層は公的に吸い取られる保険料にたががはめられたことによる余剰分を、自らの「防貧」機能強化に投入するようになる。それが私的個人年金への加入や様々な形による貯蓄・投資行為であり、彼らにとって今回の「老後2000万円問題」は今さら騒ぐ問題ではなかったことになる。
「社会主義革命型」年金制度改革が始まる
一方で、冒頭指摘した「年50万円以下の年金しかもらってない夫婦」にとっては、現役時代、夫婦で
年40万円の基礎年金保険料(1万6900円X2X12=40万5600円)を支払い続けること自体、非現実的であり、貧困国民層では低年金、無年金は常態化していると見ていい。現状、そのしわ寄せが生活保護支給に向けられているが、自立支援を目指す生活保護本来の役割に合致していない以上、貧困層を対象にした年金制度自体の立て直しが国として求められることになる。
ここで注目されるのが、オランダで導入されている「給付つき税額控除」による社会保険料の相殺方式だ。「税額控除」は本来納めるべき税金から国民福祉、生活支援の観点よりある一定額を控除して上げますよという考え方から成り立っている。これに対して「給付つき税額控除」はある意味、「社会主義革命」的な発想であり、日本国民として最低限度の生活を営むのに必要な所得について、その不足分を「マイナスの税金」として国が給付する。税金を納めるのではなく、税金を貰うという考え方だ。
オランダで行われている「給付つき税額控除」とは、「マイナスの税金」の給付を年金とか健康保険の社会保険料に限定して実施するものであるが、現状の自己所得では保険料が支払うことが出来ず、無年金状態、無保険状態に追い込まれている貧困層の救済を目指したものである。この発想は今のところ日本の厚労省も財務省も否定、無視しているが、今後、現役世代、リタイア世代問わず、貧困格差が国民的問題となっていく中でくすぶり続けるテーマとなろう。
(文責:一橋総研 市川周)