イベント情報
実施レポート
▶2018年3月23日(金)第5回目一橋総研・三田経済研ジョイントセミナー
「ドイツの道」「日本の道」―なぜ、ここまで違ってしまったのか?」
By 早瀬 勇 氏 横浜日独協会会長 元金沢星稜大学学長
▶2018年3月23日(金)第5回目一橋総研・三田経済研ジョイントセミナー
「ドイツの道」「日本の道」―なぜ、ここまで違ってしまったのか?」
By 早瀬 勇 氏 横浜日独協会会長 元金沢星稜大学学長
財政再建国家vs財政破綻国家 かつて、日独には第2次世界大戦の敗戦国として共に廃墟から立ち直り、戦後世界の民主主義と経済成長に大きく貢献したという共通の自信、プライドがあった。しかし今、両国はその共通性よりも異質性で大きく覆われている。早瀬氏はその異質性のシンボリックかつ本質的な現象は、「財政再建のできたドイツ、依然できない日本」という点に凝縮されると見ている。日本の公的債務はGDPの約2.5倍に対して、ドイツはGDPの65%に過ぎない。日本が歳入の約3割を依然国債の新規発行に頼っているのに対して、ドイツは2015年にこれをゼロとした。国家財政的にはなんともだらしのない状況の日本、財政再建を果たし、若い有権者たちの不安を取り除いたドイツ。今回の早瀬講演はこの両国の違いの背景を様々な視点から議論するものであった。 戦後の歩みー日独5つの違い 第一が政治家の質。ドイツの政治家には、戦後ドイツ経済の奇跡的復興の立役者であるエアハルト(1963~66:首相)や、東西ドイツ統一後、「欧州の病人」とまで言われたドイツ経済の復活を率いたシュレーダー(1998~2005:首相)に代表されるように幅広い学識と共に、自己の見識や政策に対し強い自信を持っていた人物が多い。そして又、政治家としての階段を上がって行くに際しても、日本のような密室、派閥談合型引き上げではなく、己の力を国民大衆の前で鍛え上げて行くことが求められた。 第二が民主主義のとらえ方。両国とも戦勝国アメリカの民主主義を受容せざるを得なかったが、日本の場合は「超民主主義」ともいうべき過度なアメリカ式民主主義の受容による悪平等主義、人権や主権の過剰重視等がはびこった。ドイツは日本に比べ抑制的であった。特に教育分野では「譲れないところは譲らない」姿勢を貫いた。尚、ドイツでは小学校は午前中までで午後はのびのびと過ごす。日本は逆で受験勉強の重圧から解放された大学生が遊んでいる。人格形成的にはドイツを見習うべきではないか。 第三が働き方。ドイツの場合、仕事の役割分担がはっきりしていることだ。日本でようやく問題化されて来た教師の部活指導なぞはもともと無い。企業では雇用契約やジョブアサイメントが徹底しており、流動性の高い労働市場では転職は十分可能で、大企業経営者も数回は転職して経験を重ねているケースが多い。また、新卒一括採用もなく、あくまでも仕事のニーズ・能力ベースで雇う。要は会社・組織に拘束されることよりも、自分の個を磨くということが働き方の前提となっている。 第四が駐留米軍への対し方。日本は日米安保、ドイツはNATOを通じて駐留米軍の大きな関与を受けている。ドイツは基地使用を巡る地位協定で地方自治体の基地立ち入りや、ドイツ法に基づく基地環境評価等を認めさせているのに対して、日本では同様な動きは全く見られず、「思い遣り(予算)」と「泣き寝入り」の世界のままである。 第五がエネルギー転換。ドイツは既に脱原発に向けて歩き始めており、かつて23%あった原発へのエネルギー依存度は11%まで低下、廃炉やバイオマス等エネルギー転換の研究や、電気をほとんど使わないパッシブハウス(エコハウス)の普及実験等がすすめられている。一方、安全が確保されれば安価な原子力でいいのではという日本国内の議論に対して、ドイツ人は、あの東日本大震災を経験した地震国日本が一体どうやって安全を確保するのか?と驚いている。 「ドイツの道」を貫く“Sozial(ゾツイアール)”とは ここで早瀬氏は「ドイツの道」と「日本の道」の戦後比較論から一気に時代を遡る。「ドイツの道」の原点を日本の明治維新期と重なるビスマルク首相(在位1871~1890)時代に求め、この時代に生まれた“Sozial(ゾツイアール)”というドイツ一流の政治・社会哲学に言及する。当時、ドイツは新興工業国で産業資本主義が浸透する中、国内労働者環境が悪化、『共産党宣言』」(1848年)に導かれる社会不安や革命機運が高まったが、その予防策として“Sozial(ゾツイアール)”を思想的背景とした社会保障制度(具体的には労災、障害、失業等の社会保険)の構築がすすめられた。 “Sozial(ゾツイアール)”は「社会主義の」ということではなく、「社会的な」というニュアンスを持ち、米国型市場原理主義とは異なる、社会保障や社会保険などの公共の福祉を重視し、企業活動の自由に加え公共的利益と社会的公正を目指す「社会的市場経済」(”Soziale Marktwirtschaft”)という国民経済のかたちが、エアハルト(1963~66:首相)等の指導者たちによってつくられていった。 シュレーダー首相の荒治療“AGENDA 2010” 戦後ドイツ経済の奇跡を導いた「社会的市場経済」であったが、その根幹である“Sozial(ゾツイアール)”の肥大化により、国内経済が低迷し国際競争力が大幅低下する中で、ドイツ経済は「欧州の病人」と呼ばれることになる。そこからドイツを引きずり出したのが、大胆な社会保障改革“AGENDA2010”を断行した社会民主党(SPD)出身のシュレーダー前首相(1998~2005在位)であった。 彼は党の支持母体である労働組合にも自助努力を迫り、賃金付帯費用の圧縮などにより企業競争力の回復を実現した。例えば、ハローワークが紹介する働き口を二度断ると失業保険をストップした。これは失業率を下げただけなく、社会福祉を食い物にする怠け者に活を入れた。さらに企業の買収や合併を促進し、ルフトハンザや郵政の民営化を実現するなど、銀行による産業支配を終わらせることで硬直したドイツ経済からの脱却を図った。“AGENDA2010”の荒治療効果はシュレーダー退陣後のメルケル(キリスト教民主同盟党首)首相の時代に実を結び、その後の財政再建達成に道を開いたと言える。 シュレーダー氏の荒治療の功罪については罪を上回る功があったと言えるが、社会民主党の神髄とも言える“Sozial(ゾツイアール)”の見直し、修正に踏み込んだことにより社会民主党自体の求心力を弱体化させたことは否定できない。1960年代には100万人を超えていた社会民主党党員が、この3月4日に開催された党員投票ではなんと46万人にまで激減してしまった。 これからのドイツ 昨年9月の連邦議会選挙後、本年3月にメルケル首相率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)の連立政権が合意されるまでに6カ月を要したのは異例(従来はせいぜい1~2カ月)で、多難なスタートとなった。両党による連立協定書の骨子としては、①欧州の新たな出発(Brexit後のEU結束強化)②ドイツの新たなダイナミズム(IOT型技術的変化への対応)③新たな国内的団結の維持(経済成長の包摂的発展と国内治安重視と難民受け入れ政策の見直し)の3つが強調された。 メルケル首相率いる今回の連立政権はCDU・CSU、SPD合わせた得票率で53.4%と前回の得票率67.2%から大きく後退、その分、飛躍的に票を伸ばしたのが極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)で、得票率12.6%に達し野党第一党としてドイツ政治大変動の震源になる可能性が出て来た。 AfDの政治信条は「外部からの支配」に対する徹底した反発にあり、結党当初はドイチェマルクがユーロに統合されることを激しく批判していたが、今はメルケル首相の推し進めた年間100万人に及ぶ移民政策が頻発する国内テロ事件の温床となっているとし、反移民、反イスラムを標榜、国民的支持を広げつつある。 この逆風の中でメルケルの指導力に不安を抱く向きもあるが、彼女はこの危機を乗り切るであろう。彼女は名門ライプツィヒ大学で物理学を専攻、一番信用できるのは自分でやった実験の結果と言ってたそうだが、最近は人の話をよく聞くようになり、そのうえで自己の判断を入れてゆく老練さを身に着けて来ている。 経済産業面でのドイツの陰りと見るかどうかで注目されるのが、フォルクスワーゲンの排ガス不正問題だ。メカニック先進国ドイツの代表企業であるフォルクスワーゲンで起きたという事実は大変衝撃的だった。本件はアメリカの大学の研究室という高いハードルの世界から追及を受けたもので、今や中国で4割を売るVWにとって、「実害がなければいいではないか」というモラルの緩みがあったことは否めない。VWの不祥事がドイツ産業史の汚点となったとともに、世界的検査不正に対する大きな歯止めとなったと言える。電気自動車や自動運転技術が世界制覇のカギとなる見通しの中で、ガソリン車とディーゼル車を自動車産業の核としているドイツはどう対応するかが注目される。我が国にとっても他人事ではない。 (文責:一橋総研 市川周)
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