実施レポート
第21回 一橋総研・三田経済研ジョイントセミナー [2023年8月21日(月)開催]
『AIと人間力 - chat GPT登場で問われるもの』
講師:栗原 聡 氏 慶應義塾大学 理工学部 教授 共生知能創発社会研究センター長
『AIと人間力 - chat GPT登場で問われるもの』
講師:栗原 聡 氏 慶應義塾大学 理工学部 教授 共生知能創発社会研究センター長
栗原 聡 氏
慶應義塾大学 理工学部 教授 共生知能創発社会研究センター長 NTT基礎研究所、大阪大学、電気通信大学を経て、2018年より現職。2022年4月より科学技術振興機構(JST)さきがけ「社会変革基盤」領域統括。人工知能学会副会長・倫理委員会委員長。国内AI 研究の第一人者。『人工知能学事典』等多数の学術書の他、『AI兵器と未来社会キラーロボットの正体』といった刺激的な啓蒙書にも取り組む。手塚治虫不朽の名作『ブラック・ジャック』の「新作」を手塚真氏(手塚氏長男)とAI技術を使って制作、今秋上映の予定。 |
AIが生成した素材に価値を見出すのは人間しかできない。AIは過去の人知の集積であり、ゼロから何かを生み出すことは極めて難しい。人がイノベーションを起こすためのきっかけやヒントを見出すことをサポートするのがAIだ。従って、膨大なデータを元にアウトプットするAIを使いこなし、AIからクリエイティビティを引き出すためには、使いこなす人間の「異なるものをつなぐ力」「状況理解(コンテクスト理解)力」、そして物事を俯瞰して見る「メタ認知力」といった将に「人間力」が問われる。一方、AIを使いこなす層は確実に利益を生み出していくが、AIに使われる人間は利益を出せなくなる。さらにAIを使いこなす側が提供する新たなサービスに依存し、より思考力が失われていくことでAIが人々の二極化を進行させ、格差社会が助長されることになる。しかし、AIが危険だから使わないという選択肢はない。AIの社会実装は止まらない。様々な軋轢が発生する中、私たちはAIとどう向き合うか?本当の脅威は強力なAIの登場ではなく、「人間ならではの力」が弱っているところにあるのではないか。
「AIの民主化」がもたらすもの
ChatGPTの登場は「AIの民主化」が始まったことを意味する。すなわちAIを誰もが使える時代がやって来た。これは近代以来の人類文明が産業革命で蒸気機関を身近なものにしたこと、さらにインターネットによりコンピューター技術を生活の内部に浸透させたことに続く革命的現象だ。 「AIの民主化」とは高度で専門的な知識・情報をずばり普通の日常的な言葉で問いかけ自分のものにすることを意味し、1人のアマチュアが雲の上にいたプロ顔負けの作品を生み出せる世界の到来を意味する。その逆説的な事例がこの9月まで150日間続いた米国ハリウッド脚本家組合のストライキであった。脚本家組合は映画製作会社側に生成AIで脚本を書かせないことやAIの知識学習に既存の作品情報を利用させるのを制限すること等を約束させた。但し、脚本家自身がAIを使うことは状況に応じて可能とした。つまり本来的な「AIの民主化」の流れに対して、その恩恵を自分たちで独占する「非民主化」の道を認めさせた。 一方、「AIの民主化」は老年と青年という世代間競争に新たな局面をもたらす可能性がある。ChatGPTの特性は単なるネット検索ではなく、ChatGPTという人口知能に対する文章による問いかけ方の優劣で反応や答えのレベルが変わってしまう。つまり、「空気を読める」状況把握力や的確な文章表現力に青年に比べて相対的に長けている老年が優位に立てるのがChatGPTのやり取りである。体力では青年に負ける老年がChatGPTの有効活用により「脳力」では優位に立つことで日本経済の生産性向上に寄与することが期待できる。 AI自体に創造性はない AI自体には人間のような創造力は皆無だ。AIの役割は敢えて言えば、「人間の創造力をたきつける」ことにある。人間の創造性には2つの側面がある。1つは「点の発見」的側面。何もないところに新たな点を発見する。発明する世界だ。それはクリエーションであり、偶発性やランダム性が基本にある。もう1つが既存の点と点を結びつけて第3の点を生み出す。いわば既存情報をネットワークすることで関連性を伴った新たな情報を創発させるイノベーションの世界だ。ChatGPTの「人間の創造力をたきつける」機能が発揮されるのがこの世界だ。膨大な点群として既存情報を受け取った人間がその問題意識や発想のもとに様々な情報・思考点群を結び付け、そこから生まれる新たな問題意識や発想をさらにAIに投げ返し、さらなる情報を受けとる。このキャッチボールを繰り返す中からAIにたきつけられたイノベーションが生まれる。 ここからAIによる人間の差別化、二極化も進行する。AIを積極活用する人間は自己の創造性を飛躍的に高められるが、AIに聞くだけで自ら情報を作り上げる意欲・能力や問題意識の希薄な人間はAIから一方的に出て来る情報に依存してしまいAIを創造的に活用する人間との従属関係を余儀なくされる。 今のAIの限界と人間力 AIは日進月歩であり、現時点において確かに計算や記憶が得意であるが、推論力、仮説検証力、状況・他者理解力、因果・時間把握力といった面で人間に劣る。但し、この人間の優位性がネット社会の進行でじわじわ退化の方向にあり、特に若い世代でAIと能力水準で差がなくなり、知的主体性が希薄化しAIに食べられてしまう危険性さえ生まれている。 人間がAIを主体的に使うためには、好奇心、五感を前提に行間・文脈理解力、論理的主張力、プロセス重視、複数・別角度思考を踏まえた俯瞰(メタ)能力つまり「人間力」が決め手となる。この能力はネット社会以前に人間的成長を果たしている老年世代の方が若手世代より鍛えられておりChatGPTのようなAIツールを活用することで老年世代の社会的復権も十分あり得る。 AIの国産化は幻想 「アメリカのAIがフェラーリなら日本製のAIは三輪車で追いかけているようなもの」と日本のAI関係者から自虐的発言が出るほど日本製AIが世界を席巻するのは絶望的。日本人はAIのユーザーでしかなく、それも中身の技術に全くタッチできない「エンドユーザー」の立場を甘受せざるを得ない。技術力だけではなく、国内の製造体制でもアメリカはAI開発用のコンピューターを数万台動員できるが、日本の場合、せいぜい1000台どまりで産業集積力でも雲泥の差がある。 AIは肉体労働を駆逐出来ない AI時代の本格化と共に単純肉体労働が駆逐されると騒がれたが、これは全くの早とちりで、AIは「人間同士がやり取りするサービス分野」、具体的には接客全般、介護、医療等の分野はAIのサポートがあっても「人手」が鍵となる。特に医療分野では内科のAI代替性(データ診断や薬剤調合等)が進むが手術のウェイトの高い外科は手術ロボットが導入されても訓練されたベテラン医師の「人間の手」が不可欠だ。 一方、AIによる内科診断も腫瘍等、問題部位を発見することには信頼度は高いが、幾つかの問題部位を連結して総合判断するとなると経験豊かな医師の「俯瞰(メタ)能力」の代替は現在のAIでは無理。 人口知能(AI)が人間知能を抜く?―シンギュラリティの意味 人口知能が2045年に人間知能を抜く。という予測はセンセーショナルだが、その根拠はどちらかと言えば単純である。すなわち地球上のAI全体の計算能力が人類全体の計算能力(人間1人当たり計算能力×地球全人口)を2045年に追い越す。もし、人間1人当たりで比較するとAIが2029年に追い越すという話だ。この説を発表した米国のレイ・カーツワイル博士はそれ以上のこともそれ以下のことも言ってない。要はAI に対し、この事態にどう立ち向かうかだが、AIに抜かれるとか、AIに支配されるというような疑心暗鬼ではなく鉄腕アトムやドラえもん生み出した発想が大事でそこに「日本型AI」の可能性も出て来るのではないか。 (文責:一橋総研 市川周) |