二つの呪縛 国際金融とは、パワーとパワーとのぶつかり合いであり、情け容赦も無い戦いの場である。 国際金融を、単に、金融の世界だけで考えるのでは、限界がある。国際金融とは、軍事・政治・エネルギー・情報通信などの要素が、複雑に絡み合っているものである。 米国は、人間の本能に根差したシステムを有するが故に、グローバルキャピタリズムの中で、非常にパワーフルになった。米国は、ステイトキャピタリズムであり、国家が、中長期の国益を生み出す経済地政学を考え、実行し、民間が、短期の利潤を追求している。日本は、良く言って「社会主義先進国」であり、グローバルキャピタリズムについていけず、自国の富の使い方が分からず、経済・金融の停滞に陥ってしまった。 その国際金融戦略の貧しさが、BIS規制を安易に導入し、邦銀を弱体化し、アジア金融から撤退せざるを得なくした。その間隙を縫うようにして、米銀が、中国の金融市場での主導権を握った。そして、中国経済の破綻前に、米銀の中国企業向け債権に、中国の中央銀行の保証をつけ、邦銀に売りつけようというのが、米銀の狡猾さである。ある米銀が、3年ほど前に、政府保証を頼りに、中国企業に貸したが、結局、中国政府は保証を履行せず、裁判になった。そして、さすがの米銀も、あきらめた経緯がある。 また、中国に、毎年、何千億というODAを供与し、中国は、それを戦略マネーに変え、台湾を認めている中南米の諸国を、その金で篭絡し、台湾から、中国にくら替えさせている。台湾という地政学的に、日本にとって、非常に大事な国を、中国に押さえられようとしている。 このように、日本は自らのカネを戦略的に使わず、米国、中国などの戦略国家が、それを、自国の利益のために使っている。それは、なぜか。日本の悲劇は、二つの呪縛から、逃れられなかったことである。一つは、絶対平和主義であり、日本が軍備を持つことは、戦争を引き起こす危険性があるという考えであり、軍事国家に囲まれている状況下で、自分の国の自制心より、他国の自制心に期待しているという矛盾と脆弱さがある。 二つ目は、何がなんでも、米国一辺倒であり、日米安保は絶対であり、どんなことがあっても、日米関係を崩してはいけないという考えである。この呪縛が、日本人の思考を停止しており、無戦略国家になってしまっている。米国の本質はリスクテイク国家である。資本主義という、もっとも獰猛な原理で動き、核による先制攻撃もいとわない猛獣にも似た米国に。日本が、服従するには危険を伴う。 このように、国際金融という国益を追求する国家が、思考停止に陥ってしまっていては、国際金融の国家戦略などをたてようがない。米国の金融奴隷になってしまっているのは、この米国一辺倒の呪縛そして思考停止にある。 米国のグローバル覇権の阻止 一国が軍事的に突出すると、その国は、軍事力を梃に国益を追求したくなる「誘惑」が生じる。また、情報通信、金融などの分野における圧倒的な地位をとった国は、それを自国に有利な様に使うのは、当然と言えば当然である。 例えば、米国は、ドルの還流システムをつくりだし、開発国に向かうべきマネーをも、米国に還流させ、過剰な消費を続けている。 世界の多様性こそが、世界を強靭にするのであり、米国の単独覇権は、世界を脆弱にする恐れがある。それを阻止するのが、日本の国際貢献である。 [<<PREV] 1 2 3 4 5 6 [NEXT>>]
|